もそもそしゃべる

ぼんやりとした記憶で適当に書いています

蜜蜂と遠雷を読みました

久しぶりに参考書でもなくビジネス書でもなく(もともとそんなに読まないけれど)漫画でもなく、活字を読みました。もともと小中学生の頃は図書館に通い詰めていたし、あんなに本を読むことが好きだったのに、最近は漫画とかYoutube、ゲームの比率が高くて。今思い出すとそもそも娯楽が「読書」しかなかったのかも。読書を再開するにあたって特別なきっかけがあるわけではなく、婚活でなんか趣味言わないといけないし、読書か映画鑑賞かゲームかで悩んで、とりあえず読んでみるかって急に思い立ったのがきっかけといえばきっかけかもしれない。

 

蜜蜂と遠雷」。映画化もされたし、ずっと気になる本ではあって、電子書籍を買ったまま放置していたんですよね。すぐに結果を知りたくなる性分なのにネタバレも読まずに最後まで一気に読んでしまいました。

コンテスタン、みんなそれぞれ好きなんですけど、高島さんは少し共感する部分もあって。というかほかの人たちが天才すぎて感嘆しちゃうのに対して、高島さんは人間味があるせいか、がんばれ!って応援したくなりました。奥さんの同級生にとられるマウントも、「あー、ありそう」と思って余計に。音楽は食べていけない、食べていけるのは一部の人たちだから、そこに時間や経験や、いろいろが制約された人が挑戦することはすごく勇気のいることで、でもそれを応援するご家族が素敵だなと思いました。研ぎ澄まされたものだけはなくて、生活とともに生まれる音楽もあってもいいと、むしろそれが自然なのかもと思いましたし、報われる賞があってよかったです。

ほかのキャラクターで好きなのは、スミノフ先生とホフマン先生、綿貫先生です。好々爺っぽいキャラクターが好きなんですよね。たぶんちょっとふくよかな体型でニコニコしてそう。完全に性癖です。

あと、この小説のいいところはコンクールが題材だけど、バチバチの戦いって感じではないところ。芸術という分野がそうさせるのか、お互いを蹴落とすではなく、音楽に真摯に向き合って認め合って成長していくのが嫌なハラハラ感がなくて(第3次予選は別のハラハラがあったけど)、清涼感がありました。

 

文字なのに音楽が聞こえるというか。そもそも音楽を言語化するってすごく難しいと思うのに、いろんな風景がでてきて、ああそうやって感じるんだな。ある意味恩田さんも物書きという分野において才能のある側にいる人だから、こうやって言語化できるのかと。ひとりのピアニストをずっと追った話ではなく、それぞれのピアニストの、それぞれの感じ方を文字にして伝えるってすごいことだなと思わされました。普通なら作者は一人だから、その人の解釈になるだろうに、この人だったらこう思う、それをその曲に対してはこう解釈するだろうっていう物語が本当にそれぞれにあって、ただただ圧倒されました。読みながら、これ映像化したっていうけど、この文字を実際にどう表現したのか、負けてないのかすごく気になるし、演奏する人はプレッシャーだろうなとか余計なことも考えてしまいました(笑)

恩田さんはなにか音楽やってらしゃったんですかね?取材のたまものだとしても、ずっとその業界にいたわけではないのに空気感や情景までありありと描ける目や耳や感覚が小説家ってすごいなと思いました。言葉になることで頭にすっと入ってきて、なんかクラシックが分かったような気になります。もっと聞いてみたくなる。ある意味、のだめカンタービレを髣髴とさせられました。なんで私リアルタイムでこの小説読んで、ブームに乗っかってなかったんだろうなーとちょっと悔しく思います。

コンテストで賞を取るような人って、本当にどこかフィクションみたいに常人離れしていると思うんですよね。私もピアノをやっていたけど、本当にすごい人は何時間もピアノに触れていていることが当たり前で、衣食住のようにピアノと向き合っている人たちで。そうじゃなくても人と感じる部分や感じ方が違ったり、なにか「ああ、この人は違うな」と思わせるなにかがあるんですよね。この小説に限らずですが、登場人物たちも架空のキャラクターだからこそそんな部分があって、違った人の感覚や世界に触れられることが私は楽しいんだなと思いました。読書しかり、映画しかり、舞台しかり。

趣味が読書、と言えるようにまたいろいろ読めたらいいなと思います。